ナガイヒストリー
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お客様に技術で貢献する永井車輌整備有限会社
「エンジン、ブレーキを整備するだけが、整備工場じゃない」
車輌整備の移り変わりを、永井車輌のルーツとともにご紹介します。
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スタートはタイヤのパンク修理
当時大分バスの下請け工場で働いていた先代の社長が独立し、大分市三佐で「永井車輌整備」を立ち上げたのは昭和42年。独立当初は資金がなく、必要な工具が買えなかったため、請け負っていた仕事はタイヤのパンク修理のみでした。
独立から約4年間コツコツと資金を貯めながら技術を磨き、車輌整備に必要な工具を集め、認証を取りました。 -
民間車検工場に指定
独立から12年後の昭和54年、民間車検工場に指定されました。
民間車検工場として大型車の整備を請け負えるようになりましたが、このころの整備車の割合は普通乗用車8:大型車2。
普通乗用車のお客様からのご依頼が多くありました。 -
ユーザー車検の流行→
大型車メインへシフト1995年の制度改正で、車両整備界に大きな変化が起こりました。24ヶ月点検の点検項目が102項目→60項目に大幅に削減され、ガソリンスタンド等での車検が可能に。「ユーザー代行車検やガソリンスタンド等」が普及していったのです。
「そろそろ車検を…」と考えたとき、お客様は馴染みのあるガソリンスタンドへ流れてしまいます。このころ整備工場が爆発的に増え、ライバルが一気に増加。永井車輌整備にとって厳しい時代がやってきました。
普通乗用車の依頼が減り、以前から請け負っていた大型車両の点検・整備により力を入れるため、4t以上の車輌が乗り入れできる現在の工場に移転。
取り扱いを大型車や法人車輌にシフトしたことで業績が回復し、以降右肩上がりで伸び続けています。(2020年現在、整備・点検の8割を大型車両が占めています)
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整備の今と永井車輌整備
自動車が進化するにつれ、整備のスキルも高いレベルを要求されるようになっています。
10年前に永井車輌整備はITを取り入れ、より効率的な整備が行えるように設備投資を行なってきました。コンピューターによる数値の判断、不具合の可視化ができるようになり、作業の効率化・短縮化が進んでいます。
しかし、どれだけ機械化が進んだとしても、機械が解明できないこと、機械には修理できない箇所があります。
また、エンジンやモーター等、主要な部分だけを理解していても正確な整備は行えません。
整備士の優れた技術と経験、深い知識は、今も昔も変わらず必要とされています。 -
未来につながる商品開発・国際活動へ
初代が作った「永井車輌整備有限会社」という会社を、社会に貢献できる会社に成長させていくことです。
現在、別事業で次世代のクリーンエネルギー・水素エネルギーの研究と開発を進めています。(LINK:ハイドロネクスト)将来的にはこの水素エネルギーを自動車にフィードバックし、永井車輌整備で水素自動車の開発を行う予定です。
永井車輌整備が描く未来は、日本国内の活動だけではありません。海外に視野を広げ、現在、カメルーン共和国での部品や中古車販売、自動車整備士の育成等、国際活動を模索しています。
必要なのは「技術でサービスする精神」
私たちが求めているのは、メカニックとしての向上心や、目標に向かって挑戦していきたいという強い心を持った人材です。
「接客が苦手」でも「人と話すのが苦手」でも大丈夫!「技術でお客様に貢献する」という気持ちがあれば問題ありません!
技術でサービスする人材を育てるキャリアパス
業界未経験でも技術や経験を積みながら着実にキャリアアップできるように、先輩があなたの成長をサポートしています。より具体的に日々の業務と将来の目標が描けるよう、永井車輌整備のキャリアパスをご紹介します。
ドイツでの車輌整備士は、医師と同等に扱われる専門職です。
車輌整備士は、深い専門知識が必要とされる国家資格。
なのに、日本では「給与が安い」や「きつくて危険」等、ネガティブなイメージが強く根付いて。永井車輌整備は「車輌整備士」の給与や働き方・イメージを、ドイツのように変えていきたいと考えています。
すべての車輌整備士が、メカニックとして胸を張れるように。これまでの車輌整備業界の常識を、永井車輌整備が変えていきます。